2008年01月11日

「壁を越える技術」 西谷昇二先生

nishitani山手線に乗っているときに見た電車広告に、懐かしい顔が!

代ゼミで僕が浪人していたときの英語の先生、西谷昇二先生の本だ。題して、「壁を越える技術」。早速買って読んでみた。

(以下、引用)

「理解する」は英語で、「understand」という。分解すると「under」(下に)「stand」(立つ)だ。
人間は「下に立って」初めて物事を「理解する」ことを、この中学生でも知っている簡単な単語は教えてくれる。

一度も下の立場に立ったことのない人、一度も負けたことがない人には、人間のもつ悔しさ、悲しさなどを理解するのは難しい。底辺に立つと、仰ぎ見る角度、仰角は広く大きくなる。視野は広がり、多くのものが目に入る。上から見下ろし、わかった気になることを理解とはいわない。

どん底から世の中を見る。それが「理解する」ことなのだ。

(以上、引用)

試験本番直前講習の最後に選んだのが、西谷先生の「キャンディ・ロック」という授業。授業が終わった後、一緒に浪人した仲間達と公園に集まり、

 「全部試験が終わるまで、お互い連絡をとりあうのをやめよう。
  全員笑顔でまた再会できるよう、頑張ろう!」

と言って皆で別れました。誰が受かった、落ちたと一喜一憂しないためです。懐かしい当時の記憶が甦ってきます。

朝6時起き、夜12時寝。お酒を飲まない、タバコを吸わない、女性と付き合わない、と決めてほぼ守り通し・・・英語の偏差値も22から75にまで上がりました。勉強だけをし続ける、修行僧のような1年間でした。めでたく志望校に合格、浪人は、僕が「やればできる」という確信を持つことができた時代でした。

西谷先生は「壁」を乗り越えるために必要な「自信のカケラ」は既に自分の中に存在している、と言ってましたが、本当にその通りだと僕も思います。浪人という「壁」を越えることができたという自信のおかげで、社会人になってから次々に現れてきた「壁」を乗り越えることができたように思います。

「壁」にぶつかっているときには、過去を振り返り、自分自身に宿っている「自身のカケラ」を探すことから始めてみると良いのかもしれません。

  
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2007年10月25日

懐古 - 大学時代の後輩とゴルフ -

BB1















週末、大学時代の後輩Sくんと2人でゴルフ。

BB2ラスベガス出張の帰り、オーバブッキングと、不注意でフライトを逃し(こちら)、LAを22:05出発、機内1泊で、NYのJFK空港に着いたのは、朝6:00am・・・そしてそのまま6:30amにAくんが迎えに来てくれて、NJのCrystal Springs Resort にあるBlack Bear Golf Clubへ。なんという強行スケジュール・・・

気温10度の寒さや、今の自分にはとても難しいコースだったことに加え、Aくんの
「後藤さん、ビール飲みましょうよ」攻撃の誘惑に負け・・・ スコアはボロボロ(笑

しかし学生時代、高田馬場で一緒に飲んだくれた後輩とNYで再会して、一緒にゴルフをするのは、何とも不思議な感覚です。

彼は日本を代表する某メーカーの駐在員、全米を飛び回っています。なんと、僕の育てた(?)後輩たちが、いろんな会社の駐在員として、現在アメリカに4名いるのです!

BB3アメリカ勤務を希望して皆頑張ってきた結果、有限実行しているんです。本当に凄いことです。
分野は異なれど、活躍している後輩たちは僕の大切な財産でもあり、誇りでもあり。

早稲田大学の校歌の3番の特に好きなフレーズ、

「集り散じて 人は変れど
仰ぐは同じき 理想の光」


卒業して12年の時が過ぎてお互いにいろいろ変化しつつも、異国の地で再会できるということに感謝しなくては、と思います。

紅葉し始めたNJをドライブしながら、後輩と昔話に花を咲かせた、嬉しい週末でした!


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2007年10月22日

祝・早稲田大学 創立125周年!

今日10月21日(日)、僕の母校、早稲田大学は創立125周年を迎えました。めでたいです!

記念式典に出席した福田康夫首相が

 「(自分は)大器ではないが晩成のようだ」

とスピーチしたというニュースを見ました(笑) 戦後、石橋湛山、竹下登、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗の5人の早大出身の首相がいましたが、福田首相は1959年、

政治経済学部経済学科出身の初の首相!!

95年卒の僕より、36年(三まわり!!)も大先輩です・・・かくいう僕も、大学を卒業して12年(!)も過ぎてしまいましたが、本当に充実した4年間でした。

この創立125周年に便乗して(?)、僕が所属した大学時代のサークルでも盛大なOB/OGと現役生が集まるパーティ
が12月1日(土)に母校にて行われるという案内が届きました。楽しみ、楽しみ。

一昨年だったかな、僕の同世代のOB/OGと、現役生の交流を目的に飲み会を企画しました。高田馬場の居酒屋にOB/OG、現役生それぞれ約30名ずつ、総勢60名の賑やかな会になりました。

最初は、「えー、20代の学生さんと何を話していいかわからないよー」とOB/OGが言っていたり、10年以上も年上の先輩と話したことがないので、緊張します・・・」と現役生が言ったりしていましたが、開始早々、お酒を酌み交わすとすぐに盛り上がり始め、予定通り、終電を逃しました(笑)

僕がこの会を開いた目的の一つは、就職活動を控えた後輩たちに、本番前に肩肘はらずに、ざっくばらんにいろんな業界の先輩たちと話す機会を提供したかったからでした。商社、銀行、航空、メーカー、電力 etc.様々な分野のOB/OGが集まってくれたおかげで、後輩くんたちは素晴らしい時間が持てたのではないかと思います。

またOB/OG達も久々に母校の学生に会い、若い人たちからパワーと刺激をもらったようでした。既におっさん入ってますから(笑)

11月の僕の日本出張時に、また第2弾を企画しています。また楽しい会になるといいなぁ。


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2007年01月07日

映画"Freedom Writers / フリーダム・ライターズ"

Freedom Writers今日はエンカレの生徒さん、新規プロジェクト

の仲間と、
1月5日に公開したばかりの映画、

"Freedom Writers/ フリーダム・ライターズ"
(日本は2007年夏公開予定)

を映画館で見てきました!久々に感動して

ジーンと涙が出てくる素晴らしい作品でした。


1992年に人種差別問題をきっかけにして起きたロス暴動直後、ギャング抗争が横行するカリフォルニア州、ロングビーチのWilson High Schoolという高校に、新任で着任した23歳のErin Gruwellという英語(国語?)教師とその生徒たちの物語です。

その当時を振り返った生徒の日記をもとに、「学校の荒廃」「人種差別」「ギャングの横行」といった重たいテーマを扱っている実話に基づいた映画です。原作名は、

"The Freedom Writers Diary:
 (副題)How a Teacher and 150 Teens Used Writing to Change Themselves
     and the World Around Them"

副題の意味は、「1人の教師と150人の生徒たちが、自分自身と周囲の世界を変えるために、どのように『ライティング』を活用したのか」

です。この副題がこの映画のすべてを物語っている気がします。

校長やその他の先生たちが"unteachable / 教育不可能"とあきらめた、人種差別とギャング抗争の真っ只中の生徒たちに、Erin先生が体当たりでぶつかってゆき、"journal / 日記"を通して、彼らが日常に抱えている問題を共有し、彼らの中の"Change"を促してゆくのです。

現在、そのErin先生は、"Freedom Writers Foundation"という基金を設立して、ドロップアウトする高校生を無くしてゆくための活動を続けています。


この映画のErin先生を見ながら、ずっと自分の中学2年生のときの恩師、故吉田千恵先生のことを思い出していました。吉田先生に出会えなかったら、今の僕はありません。以前にも「自分を信じる力」という記事でも書いたのですが、

「あなたは、やればできる」

ということを教えてくれた先生でした。僕も中学2年生のときに、毎日、日記を提出していたのです。そして何か頑張ったりした生徒がいると、先生が毎日発行していた学級通信「つばさ」にそれを特集して、思いっきり褒めてくれるのです。

当時サッカー部だった僕の仲間達は皆いい奴でしたが、いわゆる「不良」と呼ばれる連中も多く、一緒に遊んでいるうちに、僕も知らず知らずのうちに引き込まれてゆきました。

忘れもしない中2の夏、行動がエスカレートして警察にご厄介になるような出来事が続き、僕は彼らとの付き合いを躊躇するようになりました。気の弱かった僕は仲間から抜けようとして、イジメにもあいました。そのときに、僕を助けてくれたのが先生との日記でした。気持ちを全部書いた日記の先生の赤ペンでの返答は、

「大人なんだから、自分で決めなさい」

でした。助けてくれると思っていた僕は最初ショックを受けました。自分の大好きな先生が伝えようとしている意味を、中学生なりに真剣に考え、自分を変える努力を始めました。今思えば、僕を信頼してくれていたから故のメッセージだったんだな、と思えます。

高校2年の秋、先生の訃報が届きました。告別式のお手伝いをしていた僕は特別に遺族の方と一緒に、最後に先生と対面をしました。告別式が終わるまでずっと泣く事をこらえていましたが、人目もはばからず、僕が人前で泣いたのは、きっとこのときが最後です。そのときに僕は

「吉田先生の遺志を継いで、教師になろう」

と誓ったのです。回り道はしましたが、気が弱くて人前で話すことすら出来なかった僕が、今のような人生を歩むようになったのは、本当に吉田先生との出会いのおかげです。

今でも先生が毎日配布してくれた学級通信「つばさ」と、10冊以上に及ぶ日記帳は、僕の実家の押入れにしまってあります。

現在、僕がエンカレで頑張っていることは、今は亡き吉田先生への恩返しなのかもしれない、そう思います。


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2006年11月28日

入院6日目: 谷川俊太郎さん〜自分の価値観のルーツ〜

Hargen Datz入院中、お気に入りのアイスクリーム、

ハーゲンダッツのストロベリー味を

食べていると・・・



New Cinema Paradiso僕の一番大好きな映画

ニューシネマパラダイス

のテーマが耳に入ってきました。

それはテレビのCMで、朗読されている詩も

とても心の温まるとても素敵なものでした。

それもそのはず、HPを見てみたら、それは

谷川俊太郎さんの詩でした。



「愛する人のために」 谷川俊太郎

保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、
パソコンの便利さもありません。
けれど、目に見えぬこの商品には、
人間の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
愛情をお金であがなうことはできません。
けれどお金に、
愛情をこめることはできます、
生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるなら。

(以上、日本生命のHPより抜粋)



僕は谷川俊太郎さんの詩が好きです。出会いは小学生のときにさかのぼります。国語の教科書でも採用されている「スイミー」という絵本を読んで、子供ながらにとても感動したのです。

実は谷川俊太郎さんにお会いしたこともあるんです。

祖父が所有していた軽井沢の別荘に家族で遊びに行ったときに、彼の別荘がすぐ近くにあったのです。偶然、彼が庭にいらっしゃるときに通りがかり、母に背中を押されながら、画用紙を持ってサインをお願いしたのです。小学校でスイミーを読んでとても好きになった、という話をしたら、画用紙に詩を書いて下さいました。

「かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった とってちってた」

これは「ことばあそびうた」に収録されている詩の一節です。子供ながらにとてもドキドキしたこのときの光景、残像を今でも鮮明に覚えています。

自分の大切にしたい価値観とか、いいなって思う気持ちとか、そういうものはきっと辿ってゆくと、自分の小さかった頃にルーツがあったりするんですね。


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2005年11月18日

自分の母校のホームページ

ビザの更新のために提出書類を作っていたときです。自分の卒業した大学、高校、中学の住所、電話番号を書きなさい、という欄がありました。さすがにすぐにはわからないため、どうしよう!?と思って、試しにホームページでも検索してみたら・・・ありました!公立なのに。

 

ちなみに、中野区立北中野中学校都立富士高校というところです。

 

正直、驚きました。自分の卒業した学校のホームページがある、ということに!!今は学校選びもホームページ検索からやる時代なんだろうなぁ、と。

 

しばらく、提出書類の記入をする手を止めて、ノスタルジーにひたってしまいました。勉強はしなかったけど、サッカーに全てを捧げた生活。

 

僕同様、アナログ世代育ちの皆様、自分の卒業した学校のホームページを探してみるのも楽しいですよ。

  
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2005年06月05日

代々木ゼミナール浪人時代〜英語学習法の確立〜

今日は嬉しいメールが一通届きました。僕は大学時代の4年間、大学受験予備校の代々木ゼミナールで浪人生向けのチューターという進学相談のアルバイトをしていたのですが、そのときの生徒さんからです。メールをご紹介する前に、ちょっと前置きを。

 

僕は高校2年のとき、自分の人生を変えてくれた中学時代の恩師の先生を亡くすまで、大学に行く気が全くありませんでした。中学3年間、サッカー部でレギュラーになれなかったため、高校でもひたすらサッカーだけをしていました。将来のことなど、何も考えていませんでした。そのため、サッカー部を引退し、先生の意思を継いで教師になろう、と思ったまでは良かったのですが、教師になるためには大学を卒業していなくてはいけない、ということを高校2年で知りました。高校の選択も校則(拘束?)に縛られるという、考えてみればちっぽけな理由で私立高校を受けず、都立高校を1校だけしか受けませんでした。塾へも行ったことがなく、受験勉強というものもしたことがありませんでした。そのため、高校3年生の最後の代々木ゼミナールの模試の偏差値は35でした。現役時代の早大模試では全国でビリから2番目、偏差値22という、なかなかとれない名誉な成績をとったこともありました。

 

しかし、浪人する、という決意をしてから(もちろん、選択肢はなかったですが)は頑張りました。代々木ゼミナール初日、自分に誓いをたてました。それは、

 

         酒を飲まない

         タバコを吸わない

         女の子と付き合わない

         6時起床、夜12時就寝

 

の4つでした。当然、当時は18歳でしたので、上記2つはもちろん誘惑に負けない、という意味です。
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Posted by encare at 14:47Comments(2)TrackBack(0)