2008年01月05日

箱根駅伝、途中棄権に見る「懐古」思想

家族で箱根駅伝のテレビ中継を見ました。母校、早稲田大学の往路優勝に歓喜しつつも、目に焼きついて離れない光景。それは、

順天堂大学のランナーが、足が痙攣して走れないにも関わらず、何度も転びながら必死に走ろうとするシーン。そしてそれを泣きながら見守る仲間のランナー達。

見ていて涙を止めることができませんでした。

2日目の結果はニュースで知りました。途中棄権をした大学が3校になった、と。そして、大会主催者のコメント・・・

 「情けない。速い選手はいるが、強い選手はいなくなった」

このコメントに強い憤りを感じずにはいられませんでした。

一つ目は、頑張って結果が出なかった人に対して、「情けない」という発言。

彼らは大学名や周囲の期待を背負って、恐ろしいまでの重圧と戦いながら走る訳です。途中棄権した選手達は一生仲間に負い目を感じながら、そして重たい十字架を背負って生きてゆくことになります。

スポーツは勝負の世界、失敗や怪我も含め、不慮の事故は避けられない世界。そして、勝負が終われば、勝った者も負けたものもお互いに称えあうのが、「スポーツマンシップ」というもの。運営する側に健全な「スポーツマンシップ」が欠如しているのでは?と言いたくなります。

二つ目は、「今の若い者は・・」的な懐古主義的な発言。

この「今の若い者は・・」発言を聞くと、複雑な心境になります。趣旨も分かりますし、精神論の重要性も理解しています。勿論、エンカレでも気合や根性は大切にしています。

しかし、「今の若い者は・・」と比較すること自体、時代が違うのですからナンセンスですし、究極的には、今の若者を育ててきたのは親の世代な訳で、「今の若い者は・・」発言は自分達の教育能力がありません、と言っているだけのような気がしてならないのです。

いつの時代も、「今の若い者は・・」発言はずっと存在しているものです。僕も新入社員の頃は、「新人類」とか言われていました。きっといろんな世界、学校で、職場で「今の若い者は・・」発言は溢れているのでしょう。

僕の運営するエンカレでは、「今の若い者は・・」と親の世代と比較され続けた結果、自信を失ってしまった若者たちと接する機会がよくあります。そのため僕自身、敏感になっているのかもしれません。

しかし時代がどんなに変わっても、親、上司といった「人を育てる立場」にある人には、結果が出なかった人に対して批判する前に、まず

 「よく頑張ったな。今回は残念だったけど、次また頑張ろうな。」

と、声をかけるようであって欲しいと僕は願うばかりです。



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