代々木ゼミナール浪人時代〜英語学習法の確立〜
今日は嬉しいメールが一通届きました。僕は大学時代の4年間、大学受験予備校の代々木ゼミナールで浪人生向けのチューターという進学相談のアルバイトをしていたのですが、そのときの生徒さんからです。メールをご紹介する前に、ちょっと前置きを。
僕は高校2年のとき、自分の人生を変えてくれた中学時代の恩師の先生を亡くすまで、大学に行く気が全くありませんでした。中学3年間、サッカー部でレギュラーになれなかったため、高校でもひたすらサッカーだけをしていました。将来のことなど、何も考えていませんでした。そのため、サッカー部を引退し、先生の意思を継いで教師になろう、と思ったまでは良かったのですが、教師になるためには大学を卒業していなくてはいけない、ということを高校2年で知りました。高校の選択も校則(拘束?)に縛られるという、考えてみればちっぽけな理由で私立高校を受けず、都立高校を1校だけしか受けませんでした。塾へも行ったことがなく、受験勉強というものもしたことがありませんでした。そのため、高校3年生の最後の代々木ゼミナールの模試の偏差値は35でした。現役時代の早大模試では全国でビリから2番目、偏差値22という、なかなかとれない名誉な成績をとったこともありました。
しかし、浪人する、という決意をしてから(もちろん、選択肢はなかったですが)は頑張りました。代々木ゼミナール初日、自分に誓いをたてました。それは、
・ 酒を飲まない
・ タバコを吸わない
・ 女の子と付き合わない
・ 朝6時起床、夜12時就寝
の4つでした。当然、当時は18歳でしたので、上記2つはもちろん誘惑に負けない、という意味です。
どーん、と落ち込んだ数日間を除き、朝6時起き、夜12時寝はほぼ守りました。一日平気で12〜15時間くらい勉強していました。1990年当時は「予備校ブギ」という浪人生をテーマにしたドラマをやっていましたが、こんなものを見てしまった後は、「今日は勉強しなかった!!」と罪悪感に苛まれたものでした。(このドラマの最終回で主人公の緒方直人が浪人して早稲田大学に不合格になったときには、テレビ局に抗議の投書をしようと思いました・・・)
そんな話はさておき、元に戻しますと、とにかくがむしゃらに勉強した、ということです。
偏差値35から始めた受験勉強も効果が現れ、夏には偏差値70を超えるようになり、冬には75を越え、留年すれすれだった高校のときのひどい成績からは考えられないですが、代々木ゼミナールの模試の全国成績上位者にいつも名前が載るようになりました。
めでたく念願の早稲田大学に合格することができたため、自分にできる恩返しは何か、と考え、短期間で偏差値35から75までに持っていった自分の勉強方法、集中力の継続法を伝えてゆきたい、と思い、代々木ゼミナールのチューターに応募したのです。
「成功するか分からないけれど、とにかく頑張る」
ということが今でもできるのは、この浪人時代のおかげです。
もちろん大学時代のアルバイトではありましたが、自分のプライベートの時間も使い、ランチの時間もとらずに一日中、浪人生の生徒さんの相談を受けたりするほど、一生懸命でした。一日に23人の生徒さんの相談を受けて、帰宅途中に倒れたこともありました。
今、エンカレで僕が用いているメソッドはこの浪人時代に自分で築いたといっても過言ではないのです。このときにわかったのです。スコアを出すためには、メソッドも大事だし、講師も大事ですが、
「正しい学習方法で、モチベーションを維持して毎日学習を継続すること」
が何より大切だということを。
浪人時代にやってきたことが、自分の今の天職となっているといことは、
遠回りした人生も、捨てたものではないってことですね。
Posted by encare at 14:47
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後藤さん。お元気ですか?
代ゼミチューターの2つ下にいたニシオです。
先日チューターの集まりがあり、
その時後藤さんのお名前を聞き、懐かしくなって
お名前を検索したらここにたどりつきました。
「天職」につかれたようで素敵ですね。
NYといえば、
2002年にNYCマラソンに参加したんですよ。
運動嫌いの私ですが、20代最後の思い出にと思い、
8ヶ月間トレーニングして挑戦しました。
ニシオへ
久しぶりだねー。チューターの仲間の連絡先、全く分からないので、もし知っていたら、教えてね。
皆元気?
しかし、NYCマラソン挑戦、ってすごいね。それまでにたくさんマラソン大会に出ていないとダメなんだよね?
Mune